病気をゆる~く予防する社会の構図とは……

最終更新: 4月14日



 前回のホリスティックコンパスの中で、予防医学という点において、医療保険制度が影響を与える側面に触れていました。日本のような国民皆保険という恵まれた制度のもとでは、病院にかかることが比較的容易で、気軽に利用する感覚の人も多いのではないでしょうか。ご自分では手に負えない病気になったとき、お金の心配をせずとも医者にかかれるのは有難いことだとは思いますが、ともすると、何でもかんでも医者頼りということになりかねないのも事実です。


 ここにひとつ、笑い話のようなエピソードがあります。

 場所は、田舎に昔からある地域密着のいわゆる町のお医者さん。いつ来ても、待合室は近所に住むお年寄りでいっぱい。まるで憩いの場のようになっています。

 ある日のこと、ひざの痛みで決まってここに顔を出しているおばあちゃんの顔が見当たりません。それに気づいた一人のおじいちゃんが言います。

「今日、○○さんの顔が見えんのだけど、どうしたんかねぇ……」

 するとすかさず、のんきな声で返事があります。

「具合でも悪いんとちがうの~⁉」


 普通、具合が悪いから病院に行くわけですが、どうやらここに集まる人たちにとっては、病院の待合室で顔を合わせることが互いの安否確認でもあり、元気を与え合うことにもなっているようです。お医者さんに来られないほど具合が悪いのではないか、とも取れますが、医者に容易にかかれる日本ならではの発想と言えます。集会所に行くような気軽な感覚で病院に通っている様子が想像できるお話です。もちろんそこには、そうしたことを頭と心で理解し、また環境的に許される状況にある有能なホリスティック的医師と、それに共感する協力者の存在が不可欠ではありますが……。


 このように、地域社会がひとつの家族のような形にある中で、病院を中心としたコミュニティというのもひとつの在り方なのかもしれません。医師でさえも、その家族の一員であり、互いを敬いながらも対等な立場で接することができれば、トラブルが発生する恐れも低いでしょうし、大きな病気に発展する前にケアを施すことが可能となるのではないでしょうか。いい意味で普段から互いを監視し合い、気軽に声を掛け合える状況にあることが、病気の予防に一役買っていると言っても嘘にはならないでしょう。


 私たちは、ある日突然、病気になるわけではありません。たいていの場合、少しずつ健康でない側面が増してきた結果、はっきりと病気であったことを知るのです。それは、がんのような比較的深刻な病気でも同じです。亡くなってから、がんに罹っていたことが分かるケースもあります。

 重要なのは、病名が付いた状態にあるかないかではなく、その人がいかに満足のいく健康状態で、日々喜びに満ちて暮らしているか。そして、心身のわずかな変調に自分を含めた誰かが気づき、それを気遣い、修正することができるかどうかということにあるのではないでしょうか。