「変えることのできないものを静穏(せいおん)に受け入れる力」【by 平田ホリスティック教育財団 理事長:平田進一郎】

更新日:2020年12月24日



 メーリークリスマス!

今日は、タイミングよくクリスマスイヴです。


イスラエル、エルサレムの北西に、ゲッセマネという場所があります。

聖書では、“ゲッセマネの祈り”という話の舞台になった地で、イエス・キリストが、その弟子たちと「最後の晩餐」を終えて、十字架に処せられる前夜に祈りを捧げたところです。


今日は、クリスマスにちなんで、このお話に、触れてみたいと思います。


前置きですが、私自身は、特定の宗教を信仰しているわけではありません。

一部の方からは、ご批判を受けるかもしれませんが、私にとって、イエス・キリストという存在は、創造主から、当時のイスラエルの民に対して、最適な方法で、真理を伝道した尊い方であるという認識です。


そういう意味でも、聖書に書かれている内容は、「生きるための心得」を学ぶ書物として、世界的ベストセラーと言えるでしょう。


さて、ゲッセマネの祈りに戻ります。

その時、イエス・キリスト自身が、降りかかる死(自分の処刑)を察し、万能な創造主に向かって、この時(死)を過ぎ去らせてくださるよう祈りました。(新約聖書:マルコによる福音書14-35)


自分の死に対して、恐怖心を抱き、嘆き悲しみ、創造主に懇願しているように聞こえますが、本当のところ、「自分だったらどうだろう?」と照らし合わせるだけで、イエス・キリストの心の内は、測り知ることはできません。


しかし、すごいところは、聖書では「死ぬことは、遠ざけたいが、私の思いを優先するのではなく、創造主の心のままになさってください」という次のフレーズの解釈になります。画像は、迫りくるローマ軍、寝入ってしまう弟子たち、祈りを捧げるイエス・キリストを描いています。


私は、イエス・キリストが、肉体を持った人間として、自分に降りかかる死という究極の試練に対して、己の心を、どのように向き合わせたのか、「人間イエス・キリスト」の凄さを、このゲッセマネの祈りを読んで、痛感いたしました。


ホリスティックヒーリング講座の中には、ホリスティックセオロジー(神学論)という科目があって、原子肉体という私たちの体(細胞)と、光子体という心(魂)の側面を学ぶにあたり、聖書の内容は、副読書としての大きな一助になります。


今年は、コロナ感染症の話題で始まり、四六時中、この話題が、世間を騒がせてきました。

コロナ禍に生きることは、生老病死という人間の悩みの中でいるということは、否定できません。


更に、現代生活では、それ以外にも、個々に体験する病気やケガ、経済的な苦境など、この世に生きている以上、ストレスを感じている、私たちの「心」の持ちようを、何とかしなくてはなりません。


前述のゲッセマネの祈りのイエス・キリストの心の持ちようでいることが出来れば、どんなにか平安なことでしょう。


最後に、アメリカの神学者ラインホルド・ニーバー(1892–1971)の言葉を書き添えます。

私自身が、悩んだり、大きな決断に迫られたとき、試練とも言える状況に置かれたとき、

心の中で唱えることで、勇気と力をもらった一節をご紹介します。


God, give us grace to accept with serenity the things that cannot be changed,

Courage to change the things which should be changed, and the Wisdom

to distinguish the one from the other.


「創造主よ、変えることのできないものを静穏(せいおん)に受け入れる力を

お与えください。

変えるべきものを変える勇気を、そして、変えられないものと

変えるべきものを区別する賢さをお与えください。」


それでは、一年間、お付き合いいただき、ありがとうございました。

どうぞ良いお年をお迎えください。