「あなたの究極のストレスは、何?」Vol.3【by 平田ホリスティック教育財団 理事長:平田進一郎】


前回話題にした、「経済的なストレス」は、個人的な状況によって異なります。

しかし、その苦しみの感じ方は、他者とは、比較できない情緒であるがゆえに、どちらが重いか、軽いかは、論じることはできません。


最後のストレスは、「命を脅かされること」になります。


私たちにとって「死」とは、100%経験することです。


早いか、遅いかの違いはありますが、必ず遭遇する出来事です。


それは、自分のことか、家族のことか、友人、知人のことか、相手によってストレスの感じ方に違いはありますが、本質的には、人生、最大、最後のストレスのような気がします。


人間関係、経済的なストレスのときには、私自身「命を取られるわけではないから・・・なんとかなる」をキーワードにしましたが・・・・これは、通じません。


このテーマに関しては、大変に厄介なことです。


いま、考えなくても良いと思う人もいれば、避けて通りたいと思う人もいるとは思います。

しかし、「死」を考えるということは、「生」を考えることにつながるはずです。


ホリスティック教育の本筋は、人生の終焉以降にも、つながるということが、極めて大切な考え方です。


いよいよ名古屋のイベント「真実の愛」まで、数日となりましたが、本イベントは、このテーマになります。同イベントの中で、死後の世界を経験して、もどってきた人たちの臨死体験のインタビュー映像を見ていただきます。


大事なことは、死後の世界がどのようなところかよりも、もどったことで、どのような心境に至ったのか、変化があったのか、ということになります。


私たちが、継続的に恐れを抱くのは、「死の状態が、どんな感じかわからない」という不安感、そのものです。

もし、死後の世界を、一度、見てくることができたら、このストレスは、小さなものになるでしょう。


臨死体験者の話を聞くと、彼らの中から、死の恐怖は消えて、生をどのように全うするか、という一点に絞られています。


彼らの話から、死が、恐怖の世界から、光の世界に変わり、無条件の愛を感じたという言葉が、共通のコメントです。


光と無条件の愛を感じるという「感じる」は、肉眼で見えている世界ではありません。

正に、臨死体験談は、究極、頭で理解して、知るという世界ではないからです。

臨死体験は、誰もが、「感じるという情緒の世界」になります。


もし、瞑想を通して、類似性のある世界を体験できれば、素晴らしいことではないでしょうか。


例えば、寝ている時は、痛みを感じなくなります。

これは、肉体を離れているとき、痛みを感じなくなることと同じです。

もしかしたら、私たちは、気づくとか、気づかないに関わらず、毎日寝ている時に、幽体離脱を起こしているかもしれません。


本人すら、自覚がなければ、第三者からは、わかりようがありません。


ここは極めて大事なところで、瞑想や、夢の世界を通じて、類似的な体験が可能なのです。


眠りが深いとき、脳科学的には、脳波が、極めて安定している状態で、意識はないはずです。

その延長線上に、脳死の状態(臨死体験中)があるなら、脳科学的には、機能していない状態にも関わらず、その人の本質(魂)=意識が、何かを感じているなら・・・

“その瞬間”こそ、私たちの意識は、体の外側にあるのです。


これらの機序について、科学的に証明することは困難ですが、私たちは、瞑想習慣を通じて、体感的な証明をすることはできます。


これが、ホリスティックヒーリングの学びの最終到達地点です。


いささか深い話になりましたが、私たちは、リトリート瞑想研修で、このことをお伝えしています。


そこは、光の世界であり、無条件の愛を感じる世界なのです。